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今井邦子とヴァージニア・ウルフ
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川合千鶴子論を書けと仰せつかって、資料を読んでは考え、読んでは考えしている。

川合千鶴子は私の短歌の師匠。先生ではない。私の結社「明日香」では先生は創設者今井邦子一人ということになっている。母校慶応大学で先生は福沢先生一人と同じ明治の気風の名残でもあり、「明日香」が短歌という手段を使った女性のネットワークであるからでもあるが。

それはそれとして。
川合論を書く上で、どうしても今井邦子について考えないわけにはいかない。川合自身はたびたび、邦子に師事した期間が短く、多くを学び得なかったことを述べているが、だからといって影響が小さいわけではない。

今井邦子の生きた時代は、女性が芸術活動を行う、しかも結婚後もそれを続けるのが困難どころではなかった時期である。その中で政治家夫人でありながら、他の女流への支援を続け、女性の団体を運営し続け、戦後まもなく心臓麻痺で亡くなった邦子の死は、戦死と言っても差し支えない。

ふと、ヴァージニア・ウルフを思った。実務の世界に生きて妻を支えて続けた夫を持った点も、自らが欲した文学活動と家庭の間で苦悩したことも似てはいないか。生年を調べてみると、邦子が1890年生まれ、1948年没。ウルフは1882年に生まれ1941年に自殺。この二人はほぼ同時代に生きている。

「家庭」との両立に悩み戦ったのに、家庭を捨て去ったることが出来なかった女性たちへのフェミニズムからの評価は低い。だが、家庭についての考え方を変えれば・・・家を出る勇気を持てば・・・自立する経済力を身に付ければ・・・と、様々な試みが為されても、結局問題は同じところへ戻ってくるような気がする。

仕事をやめて育児に専念していた期間、私はよく心の中でウルフに独り言を聞いてもらっていた。SOHOという形で、家で仕事をするようになってから、
また、「家庭の天使がささやく」というウルフの言葉を思い出す。今日からは今井先生にも呼びかけてしまうだろう。

主婦が世界に対して困難な闘いを挑むのを支えきれずに家族が苦しむ家庭は、それは良くないですよね。でも、だからといって主婦が全部を抱え込んで一人で家族を幸せにすれば良いというものでもないですよね。どんな形の家庭を作ろうとも、誰かが生活を支えなくてはならない。恵まれた人だけが続けられたのだと言われても、恵まれていても続けるのは壮絶な戦いでしたよね。4世代たって、少しはましになったかも知れませんが、先生方と同じ悩みを抱える女性の数が増えただけだとも思います。悲しいことですが、戦死者もあとを絶ちません。

でも、バカだと言われても、損なことをしていると言われても、同じ悩みと戦い続けるしか道はないような気がします。私は戦死だけはしないようにしたいと願っています。見守っていて下さい。お休みなさい。
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2005.06.19 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


言語と文化と論理2
カテゴリ: 未分類
日本人は英会話にコンプレックスがあって、英会話と英語は別物、英会話学校は人気の的である。学校英語は文法中心で読み書きばかりとさげすまれたりする。

今の学校英語はすごく変わってきているが、そもそも学校英語が文法中心になったのには、たぶん裏の事情がある。外人教師がいなかったからとか、テープレコーダーが発明されていなかったとか、まあ、いろいろ言われているが、実際のところは学校教育を組織した明治政府が、不平等条約を改正して、文明人の住む一等国と認められたい一心で、即効性のある緊急手段として教養のある上流階級の英語だけわかればいいと割り切ったのではないだろうか。

江戸時代の日本は、小国連合みたいなものだったので、文語だけが共通語だった。上級武士は「でござる」という例の「さむらい言葉」で会話可能。これは藩校などの上級教育で取得するものだった。おそらく上級農民(大庄屋)は、ほとんど身分的には武士と同じなので文化人を滞在させて俳諧の会を開くなどして、共通語を学んでいただろうし、庶民も例えば歌舞伎などの言葉からある程度の共通語は派生させていただろう。でも、地方で生まれてそこで死ぬのが当たり前だった人たちは方言だけでもなんの不自由もなかった。

欧米には現代でもまだこんな感じが残っている。(例えば、タイムの北朝鮮から帰国したジェンキンズさんへのインタビュー記事は、1/3くらいをさいて「中学1年で学校をやめた彼のつたない英語」について述べている。最低でも高校を卒業していない人は、良く文法ミスをして語彙も乏しいというのはアメリカ社会では常識だ。)19世紀ならなおさらのことで、これを見た政府幹部が直感的に必要なタイプの英語教育が何かを理解したとしても当然である。日本人が一流であることを認めさせるためには、日本人は文法ミスのない英語を使わなくてはならない!

一方、日本の共通語は国民皆兵で軍隊での意思疎通を可能にするために、義務教育段階の学校で徹底的に教え込まれるようになった。新しく作られた言葉だから、いくら口語文語があると言っても違いは少ない。さらに言文一致運動がこれに拍車をかけた。教育で教え込まれる言葉であるならば、高等教育を受けなければ話せないというものではない。学士様と高等小学校卒のお兄ちゃんの言葉の違いは、基本的には語彙と知識ということになってくる。

と言っても、明治時代はまだ「言葉でお里が知れる」時代だったが、大正、明治とだんだんと差が小さくなってくる。

欧米の方は欧米で、産業革命の結果社会構造が大きく揺らいただめ、日本政府が欧米離れを始めた20世紀になると、教育と言語に大きな変化が起こり始めた。教養としてのラテン語が衰退し、生きている現代語や科学が大学教育の中心を占めるようになり、大学教育を受けることでより高い階級にあがれるようになってきたのだ。文法ミスのない正しい英語は、上流階級出身であることではなく大卒であることを示すようになってきた。

そんなこんなで、現代の日本語も欧米語もたかだか100年か150年ぐらいの歴史しか持っていないのである。もっと極端に言えば、この7、80年で両方とも大幅に変わってきていて、さらにこの20年で上流階級の教養ある英語はゆっくりと死に絶える方向へむかってきているようだ。どこへ? 平明でわかりやすい共通語。つまり日本の共通語と同じ方向である。

それでもまだ、英語の口語と文語の差は日本語の口語と文語の差より大きいし、文語をフルに理解するには欧米的教養が不可欠である。そして日本では欧米的教養は教育科目からどんどん消えて行っている。英語の実力はあがって表面的な意味は取れるようになっても、そこから連想すべきものがわからなくなっている。なんとも皮肉な現状である。

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2005.06.09 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


言語と文化と論理1
カテゴリ: 未分類
「二つの脳を持つ男」ってホラーだったか、マンガの題だったか忘れたけど、私も二つの脳を持っていると感じることがある。英語力がそれほど高くないのに、私はバイリンガルですと言い切れるのは、英語脳と日本語脳がそれぞれ機能していると感じるからだ。

人間は言葉を使って考える。イメージや欲求などの方にならないものを言葉を使って考えていくことで、焦点を合わせ、はっきりとした明確なものにして、同じ言葉を話す他の人間に伝える。だから同じ言葉を話さない人と意思の疎通がしにくいのは、言葉が同じではないからだけではない。説明の仕方のくせや、考え方の道筋がわからないから、相手は「その目的のためにどうしてその方法を使うのか。(バカではないか?)」と思ってしまうからだ。
さらにもう一つ、話を聞く方は、習慣的に、つぎにどんな言葉がきて話がどう展開するかを予想しながら聞いている。話を聞きつつ疑問がわいても、同じ文化の話し手だときっとあとから説明があるだろうと安心して聞いている。ところが文化が違うと、その期待がうらぎられることが多い。怒るか、がっかりするか、反応はそれこそ文化によって違うが、不満が軽蔑や差別につながることも多い。

さて、英語を話す皆さんはおわかりだろうが、以上の文章を書くとき、私は英語脳で考えていたようである。私が論理的に文章を書くように訓練を受けたとき使った言語が英語だかららしい。

世間話をするときは、日本語脳がよく働いてくれる。成人したのが日本で、ご近所づきあいのノウハウなんかを覚えたのが日本語だからだろう。

どの言語がどんな特徴を持っているかと感じるかと、どの分野でその言語を習得したかという個人的な経験の間には強い関連性がある。
(言い換え)
ある言語の特徴はこうだという定義は、話し手の経験によって大幅に異なってくるものなのだ。

うーん、いったん英語脳で考え始めてしまうと、日本語らしい日本語を書くのは難しい。

例えば、英語は数に対してものすごく厳密なので、英語脳が機能している状態だと「ものなのだ」と言い切ってしまうことにものすごく罪悪感があり、「ないとは言い切れない」とか「しばしば」とか「ありがちなことである」とか使いたくなってしまう。
一方日本語脳の日本語でこれをやるとうるさいなあと感じる。

現実には何事も100%などあり得ない。必ず例外がある。これは大人ならだれにでもわかっていることだ。英語はだから、厳密に「経験を積んで成人した人であれば」と書き「年はとっても中身は子ども」という例外があることを明記する。日本語の「大人」とは「経験を積んだ成人」のみを指すことが前提になっているので、こんなことは書かない。

いや、英語でも同じ言い方をすることはある。ただし、それは親しい人間関係が前提になっていたり、同じような教育程度が前提になっているときだけだ。

と、ようやく私がいいたかったあたりにたどり着いた。

イギリスが極端な例だが、欧米で学歴が大事なのは、同じ「教養」という共通理解のバックグラウンドを得るためだ。学士になればお互い同じ本を読み、知識を得て、似たような経験をしている。国が違っても教育程度が高い人同士の共通性大きく、高学歴者の話はいわば内輪話で、外部者にはわからないのが当然なのだ。
日本は逆に全国民が中学まで、基本的には高校までは全く同じような学校体験をしている。このレベルで話をすれば地方差を超え、出身階級を超え、誰にでも楽に話が通じる。もちろん大学出身者同士が学士レベルの話をする場合だってあるが、それは日本人の感情が許さない。ちょっと前まで大学に行けないのは、生活スタイルよりも学力不足よりも経済格差の結果であることが多かったのだ。円滑に高校レベル以上の話をしようと思ったら、説明的になって当然なのだ。しかも、説明すれば聞き手は学歴にかかわらず理解するのが日本人なのだ。
(長くなったので、一旦切りまする)
2005.06.09 / コメント:: 0 / トラックバック:: 0 / PageTop↑


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プロフィール

ナカイサヤカ

Author:ナカイサヤカ
ナカイサヤカ/Sayaka Nakai
東京の下町SOHOで、英語翻訳しています。
2012年3月に脳内出血で左片麻痺になり、長年暮らした谷根千を離れ、スカイツリーが見える隅田川沿いに引っ越しました。夫と猫と成人した娘たちとくらしてます。

翻訳:
ビジネス・メール翻訳のWhoopee! Mail の翻訳者チームにいます。自動翻訳みたいにちゃっちゃっと使えて早い。だけど訳しているのは少数精鋭の翻訳者チームなので、お仕事のテキストも安心です。
翻訳ってどこに頼んだらいいのかわからないというときも、英語スタッフがちょっとだけいるというときも、お気軽にご利用ください。
I am a translator, English to Japanese/Japanese to English.
ネイティブチェック
学術系に強いインテリ・ネイティブ・チェッカーを複数人確保しております。直してもらったら、ニュアンスが違ってしまったと言うことがないように、丁寧な英文校正をします。

不思議:
ASIOS の会員・運営委員です。今後はここでも超常現象系のお話をするかも知れません。ことしもASIOSからはたくさん本が出る予定です。
ASIOS is the Japan's skeptics in action.

絵本・ブックハンター:
文溪堂の「探し絵シリーズ」(世界一周他全9冊)が人気です。みなさまに感謝。もしまだの方は、ぜひ手にとってご覧下さい。こうした絵本を探してきて、出版社と相談する仕事も続けています。実は探し絵シリーズも私が探してきた本なのです。情報お待ちしております。
I am translating and publishing Children's books from English to Japanese. Are you searching a way to publish your books in Japan? I, may be, can help.

英会話
毎月第1第3金曜日に< a href=”http://www4.plala.or.jp/yosikawa-culture/index.html”>吉川カルチャークラブで、とってもやさしい英会話を教えています。月1回から2回で若くなくてもちゃーんと伸びて、しかもネイティブっぽい発音になるというちょっと不思議なメソッドです。

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